1月14日は三島由紀夫氏の生誕100周年になります。
この日、大阪から始発の新幹線に乗り三島由紀夫氏のお墓参りをしてきました。
この日は三島由紀夫の記念祭が行われる日であり、執行草舟先生が講演されるということで出席してきました。
執行先生は、学生時代に三島由紀夫氏と交流がありました。
その三島由紀夫氏の想いというものを、お話しくださいました。
「戦後の日本人が一番失ったものは神話」
三島由紀夫が述べていた言葉です。
「神話と現世が、もう一度一体とならなければならない。日本人には新しい神話が必要なのだ」
この問いに対して文学に挑戦し続けた三島由紀夫。
その最終文学が55年前の自決だったということ。
自分の文学は50年から100年先に向かって真に理解されていくだろう、との予言していたようです。
この記念祭の話しを聞いて、三島由紀夫氏の大きさと深さを改めて感じました。
私は10年以上前、三島由紀夫は、預言者なのではないかと感じるようになりました。
正直、三島由紀夫を研究している訳ではないので、自分の中で感じたことを書いていきます。
それは自決の4か月前に産経新聞に寄稿した言葉。
「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」
この時代にすでに全体主義に対する警笛を鳴らしていたのです。
自決から55年が過ぎた日本は三島由紀夫の予言通りになっているのではないでしょうか。
日本人が神話を失っていなければ、まだ違う道があったのではないでしょうか。
講演の中で、村松秀子さんが三島由紀夫氏のことを、とても愛の大きい方、その愛が日本に対してもあったと。
そのようなことをおっしゃっていました。
この自決は、昭和を生きた人の心の神話になっています。
三島由紀夫が死を持って私たちに問いを投げかけました。
何を思い何を感じるかは人それぞれだと思います。
文章を書いても全然まとまらないし、何を伝えたいのかもわからないほど、三島由紀夫氏は深く難しいのだと思います。
三島由紀夫氏の想いを無駄にしないためにも、残された私たちは問い続ける必要があります。
無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がないものが何かを。
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